ヴァラナシはカルカッタと並びインドでも最もインドらしい街だと言われている。声をかけてくる客引き、リキシャーワーラー(リキシャーの運ちゃん)、すれ違いざまに奇声をあげるラリった聖者、牛のふん…。全体としてはめちゃくちゃなようでいて、ある複雑なシステムのもとに秩序がなりたっているようにも見える。しかし旅人としてぶちあたるミクロな視点ではひとつひとつが日本のジョーシキでは推し量れない。
危険なのか、そうでもないのか。信じていいのか、警戒すべきなのか。食べても平気そうか、まずそうか。
目の前を行き過ぎるひとつひとつの事象の価値判断に迷う。落ち着いて考えようにも「クルタ・パジャマ買ウカ?」「シルクサリー、見ルダケタダ」「リキシャー、ノータカイ!」「マリファナ吸ウカ?」等々、.常につきまとう客引きの声がそれをさせない。疲れる。だんだんどうでもよくなっていく…。
ようやく野良でない動物に出会ったような気がする。よかった…(^^;) 働くお馬さん。タンガという馬車だ。ここは学校の近くなので子供を満載した「スクール・タンガ」だってあるぞ。
ゴドウリヤーの交差点 牛!
ガンガーへ向かって歩いていると、 突如、道の真ん中に牛が!こうして見ていると、神聖だからとか難しい理由よりはむしろ、基本的に不殺生な国なので他の野良な動物同様、殺されずに何となく存在を許されている感じ。牛は大きいから目立つだけで実は他の動物もたくさんいるのだ。
自称ガイド、物売り、乞食が次から次へとつきまとってくる。何故だろう。夫婦で歩いていると男の方にだけ声をかけてくる。おかげで嫁さんはラクちんらしい。2倍の攻撃を一身に受けながら先を急ぐ。早くガンガー(ガンジス川)が見たい。
ボートこぎの少年たちの客引きを避けつつ石段に腰掛けてしばし休む。ここに座るとヴァラナシに来た!という気がする。
ヴィシュワナート寺院 (ゴールデンテンプル)に続く 小径の入り口
聖地だけにこうした巡礼の人たちと時々すれ違う。彼らはどこから来てどこへ向かうのだろうか…。 ヴィシュワナート寺院にはヒンドゥ教徒しか入れないので外から雰囲気を楽しむだけとなる。従って写真はなし。信心深そうな人々がひっきりなしに門を出入りしている。 小径をさらに奥に進むと火葬場・マニカルニカーガートへ通じる。
こちらも死に逝く人は現世に 何も残してはいけないというヒンドゥの教えに従って写真撮影は禁止。ただし、見学は自由。様々な友人がここを訪れたが、いずれもいろいろなことを考えさせられて帰ってきている。ヴァラナシに来てこれを見ないわけにはいかない。
きれいな布に包まれて花輪で飾られた死者が狭い小径を竹で作られた担架に乗せられて行く。角を複雑に曲がりながら付いていくと突如道が開けた。うずたかく積まれた薪と壁にこびりついたすす、何かを焼く匂いでそこが火葬場であることはすぐにわかった。
火葬を行っているすぐそばにバルコニーがある。我々はそこからしばし様子を眺めることにした。
布にくるまれているので直接それが人だと見てとれるわけではないが、薪の上に乗せたりひっくり返したりする時にぐにゃりと曲がる関節や妙な弾力がそれが人であることを物語っている。死体を焼いてその灰を川に流すときくとなんだかおどろおどろしいイメージがするが、晴天のもと牛や山羊や鶏や多くの人々に囲まれて淡々と進められるその「作業」は妙に乾いていて、むしろほのぼのした印象さえ受ける。そしてすっかり形のなくなった遺灰は自然の懐・悠久のガンガーへ流されていくのだ。
なんだか、「平和」だ。ぼんやりとこんな見送られ方もいいかもしれないと思った。
向かってくる牛!
ガンガーと寺院しかないヴァラナシに何しに来るのだ。そういうインド人もいる。しかし、慣れてくると裏路地をただぶらぶらと歩いているのが心地よくなってくる。裏路地ライフこそヴァラナシの楽しみなのだ。歩幅を半分にして移りゆく風景をゆっくり楽しみながら歩こう。
ただのポストなのになんだか風情が感じられるから不思議。
葉っぱのお皿で人間が食べる ←┐ 食べ残し 葉っぱのお皿 │ ↓ ↓ く 豚が食べる 牛が食べる り ↓ か 牛の糞 牛の乳 え ↓ ↓ し チャイを沸かす燃料 チーズやヨーグルト│ にして食べる ──┘
インドはとってもリサイクルな世界(^^;)。
裏通りの看板群
(左)道ばたのあちこちにこうしたヒンドゥの神様のほこらがある
(右)久美子ハウス。 日本人久美子さんがインド人の旦那さんとやっている有名な安宿だ。
明らかに日本の文字を普段書き慣れてない人が書いたようでどことなくヒンディチック。
さて裏通りから抜けて街を歩いているとちょうど学校の下校時刻だった。
女学校らしい。えんじ色の制服に白いスカーフがかわゆい。
バイク通学の子もいた。 年齢から言うとホントはいけないらしい。でもカッコイイやんか!